50代女性
思い通りにならないときこそ、深い気付きがあるなと思います。
詳しく話せませんが、私はいろいろな人の相談を受ける立場におります。
平日夜8時に、やや遠方のあるお宅に伺ってご主人とお話しして、
先方から相談を受けるアポイントがありました。
土日も仕事で多忙とのことで昼間は無理、いろいろと事情を整理して、電車とバスを乗り継いで、
頑張って約束どおり夜8時に行きましたが、8時半に遅れますと連絡が来て、
8時半になったら今日はお会いできませんと連絡がありました。
そこでワークできればよかったのですが、
「そもそも無理なことは分かっていたのではないか、なぜもっと早く連絡をくれないのか」
「簡単に言えば済むとでも思っているのではないか」と責めるような思いが湧いてきました。
家に帰って主人にその思いをぶつけてみました。
私が正しくて相手が間違っているのではないかという思いですね。
夫はいつも本質的な答えを返してくれる人です。
ご苦労さんと慰労して欲しくて言ってみたのですが、
「男性は仕事で手がふさがっていると、返事すらできないこともあるんだよ」と言われました。
そうなのかな…と半信半疑な思いでした。次の日は夜9時半のアポイントにしました。
遠方でも遅くなっても、確実にお会いする! という意地で伺ったようなものですが、
お会いするとご主人は申し訳なさそうにしていました。
「昨日、帰ろうと思ったら突然上司の講話が始まって、メールも短く打つしかない、
満足に連絡もできない中で来られなかった」と、
夫が話してくれたままの事情があったことがわかりました。
事情も見えない中で、妄想に囚われて一方的に責める気持ちになっていたことを反省しました。
どうしてこんなに責めるような気持ちになったのだろう…真の愛を中心として見させてください、
と心に唱えると、私が解決してあげよう、この人には問題があるから私が面接してあげよう、
という傲慢な上から目線で我知らず人を見ているクセが、心の根底にあったこともわかりました。
嫌な気持ちは、捨てるべき固定観念があることを良心が教えてくれていると
聞きましたが、本当にそのとおりだと思いました。