親としての正しさを手放すと、そこに子供の本性の願いを見た

40代男性

私には子どもが4人おります。
3番目の子どもがいつも学校に行く準備が遅く、よく遅刻するので、親としては非常にそわそわします。
何度が厳しく言いつけたこともありました。

ワークを学んで、固定観念を手放すということに挑戦しています。
「遅刻してもいいんだ、遅刻しても大丈夫」と唱えていたら、本当に我が子は遅刻しました(笑)。
でも、元気に「いってきまーす」と言って、いつも以上に元気でした。

他の兄弟みんなが登校したあとの親との一対一の会話が楽しみなようで、
親からすると「学校が大事でしょ!」という思いですが、
親のものさしではなくて、子供の本性がどうしたのかに着目するのが大事だと思いました。

正しいとか正しくないとかよりも、真の愛がそこにあるかどうかが問題なんだと気付かされます。
ずっと善悪にこだわって生きてきたな、と気づきました。
善悪の判断を越えていく生き方ってどんな感じかな…と求め始めています。

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