目を見て共に喜んでいくと、子供の心の輝きに喜びがあふれた

40代女性

私は教会に通っています。日曜は礼拝ですが、
幼児には幼児だけの礼拝というものがあり、奉仕でそこのスタッフをしています。

子供たちが多いのでとても賑やか、良いことですが大変なこともあります。
幼児といえども礼拝ですから、静かに座って説教を聞いてほしい気持ちがスタッフとしてはあります。

それに反して立ってしまったり、説教台に登ってしまったり、歩きだしたり、祈祷時間に友だちと話したり、
ということを見れば、何だそれは! という気持ちになります。

でもその気持ちは子供たちに反発を生み出すだけだな…と気づいて、
スタッフにも声をかけて、「真の愛を中心として正しく見させてください」と
皆で祈祷してから出発するようになりました。

ある男の子の話です。群を抜いて目立つというか、
ビニールボールを口に入れてからまわりに投げたり、説教台の上には登るし、大変な子でした。
その子がくると、ああ、来たのか…とため息と苦しさが湧いてくる子でした。

あるとき、このままだと、自分とこの子の関係はどうなるんだろうな? 
とふと振り返るような気持ちになり、真の愛を中心として~と特に努力しながら
数ヶ月を過ごしてきました。

目も合わせてくれない、話もできない、そういう状態でしたが、目を合わせて笑顔で挨拶して、
名前を呼んであげ、ということを繰り返すようにしました。

あるときから、少しずつ関係が変わってきました。目が合うと、とても美しい目をしていました。
美しい心情をもっているんだな、とその輝きを感じることができました。

新たな出発という4月、久しぶりに会った時に、名前を呼んで久しぶりだね、というと、
彼は私の手を握って、この期間に、こういうことがあった、こういうことをしたんだ、
たくさん話をしてくれました。

そして、自分がどこに座ったらいいのかと聞いてきて、
立たずに礼拝の説教を聞ききってくれました。ああこれが彼の本来の姿なのかと…。
ワークを通して、子供の心の輝きに触れることができ、とても嬉しく思いました。

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