良心の輝きを信じて共鳴したら、相手が自ら動き出した

20代男性

先日、泊まりの研修の講師を務めた時の話です。
講義をするだけでなく、運営の責任も持つ立場です。

何回もこういう立場に立ってきましたが、過去最高に大変な研修でした。
参加者の中に2人ほど、ほんとうに言うことを聞いてくれない方がいました。

悪意はないのだろうけれども、入るなというところには入ってくるし、するなということはするし、
いま講義している内容とまったく関係のないことを考えているようだし、
スタッフ側としても「一体どうするのか?」「そもそもなぜ来たのか?」という戸惑いと混乱がありました。

責任を持つ立場としては、言うことを聞いてくれない参加者のことを責めたくなるし、
参加者をきちんと管理できないスタッフを責めつづける気持ちにも苛まされました。

必死に「真の愛を中心として正しく見させて下さい」と良心に対してアクセスし続けました。
時間はかかりましたが、「神様の愛は、どんな人に対しても変わらない愛なんだよ」
「神様は万民を愛するんだよ」という心の声を感じ、心が溶かされていくのを感じました。

向き合って話してみても、先方はあまり人とは向かい合いたくないようで、
あさっての方向を向いているような会話しか成り立たず、
一体どうしてここに来たのか? と罵りたくなるような場面もありました。

理詰めで相手の間違いを指摘したい思考が巡っていましたが、ふと、良心の声が湧いてきました。
すべて聞き切ってみたらいいんだ、と…。すべてをあるがままに受け止めて耳をかたむけながら、
自分と相手の良心の輝きを信じて見つめ続けていきました。

研修の内容にはまったく関係のなさそうな話が続きました。
しかしある瞬間にふと、本人の言葉でぽろっと、本当は、こう思っているんですよね…と、
自分で課題に気づいていて、こういう風に変わっていきたいという気持ちを言葉で表現してくれました。

そのポイントは私からすると前から分かっていて、論理的にも教えてあげることはできる内容でしたが、
本人が自ら気づいて、自ら変わろうとしていく気持ちになったというところに
喜びを感じることが出来ました。

心の奥底では誰しもわかっていて、ただ素直になれなかったり、勇気が出ないだけなんだなと感じました。
自分と相手の本性、良心の光を見続けていくと、やがて共鳴して大きくなり、
その人を導き始めるのだなということを実感しました。