子供の事件を通して、ずっと注がれている愛に気づきました

30代女性

 今週はじめに子供のことで大きな事件がありまして、
 夫婦と小学3年の息子の3人で深刻な話し合いをするような場面がありました。

 主人と子供が話している姿をみながら、子供がどうこうというよりも、
 間違いを犯した子供を見て、自分を責める思いでいっぱいになってしまって、
 身の置きどころがない、消えてなくなりたい、という意気消沈して思考もグルグルした状態でした。

 自分で神様の思いから遠ざかって、自分を責めて責めて、
 こういう風になっていくのかな…と客観的に見るような思いもありました。
 実況中継をしながら、意識を今ここに戻し続ける努力をしました。

 ふと下のリビングを見ると、下の娘が好きな歌を熱唱している声が聞こえてきました。
 自分で自分の歌に拍手して、自分でアンコールをかけて、
 もう一度熱唱を始めるというのを繰り返して(笑)いました。

 あまりの微笑ましさに笑いが出始めてしまいました。
 深刻な話の手前、必死に笑いをこらえて下を向いていましたが、
 そのうち、胸の重さがとれていくのがわかりました。

 父子の話し合いが終わり、お母さんから一言ある? と主人が聞いてきた時、
 自然と、信じている人に裏切られているのはとても悲しいし、もう一度信じようと
 思うのは本当に大変なんだ、という言葉が出てきました。

 それは子供に言っているようで、神様が私を見つめながら思ってきたことだとわかりました。
 それでもすべてを飲み込んで育ててくださった、無条件の愛が自分に注がれていることが、
 自分の言葉を通して実感できました。

 このように子供もいて、家庭を育めること自体が本当に幸福だと感じられ、
 心情が転換されました。

 問題の発覚したときには、どうしてこんなことが起こるのかという思いでしたが、
 家庭がもう一度、真の愛の原点に帰るために起こったことなのだなと心が整理されました。
 自分にも子供にも、穏やかに対することができるようになりました。

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